REPORT 05

シャクティ舞踊団 ワークショップ

黛文化財団主催「アジア民族舞踊交流会」のプレイベントとして、シャクティ舞踊団によるワークショップが開催されます。10月15日限定で全3回、タヴィル太鼓による生演奏の伴奏で、代表的な太鼓舞踊パライアッタムほかを披露、タミルダンスの体験レッスンもあります。各回20名限定のため要予約となります。詳細はチラシやリンク先をご覧ください。

シャクティ舞踊団ワークショップ概要
シャクティ舞踊団ワークショップ
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ディンディガル・ベル (外部サイトにリンク)

2015年8月
ヌリッティアンジャリ事務局

REPORT 04

アジア民族舞踊交流会 2015

黛文化財団主催「アジア民族舞踊交流会」が10月に開催されますが、この舞踊公演にインドのシャクティ舞踊団が招かれました。

シャクティ舞踊団はタミルナードゥ州ディンディガルに本拠地をもつダンスチームで、シスター・チャンドラが農村の若い女性たちの能力をひきだし、地域のリーダーたちを育成するため、1990年に設立した社会奉仕団体「シャクティセンター」を母体としています。どこか懐かしく、リズミカルで美しいタミル民俗舞踊を披露し、インド国内ほか海外でも人気を博しています。

シャクティ舞踊団ほかアジア民族舞踊交流会概要
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シャクティセンター (外部サイトにリンク)
黛民族舞踊文化財団 (外部サイトにリンク)

2015年8月
ヌリッティアンジャリ事務局

REPORT 03

黒川妙子「社会貢献者表彰」を受賞

ヌリッティアンジャリ舞踊団の黒川妙子が「平成23年度社会貢献者表彰」を受賞した。これは公益財団法人社会貢献支援財団が設立以来実施している事業で、人道・社会への貢献により大きな功績を挙げた人物に贈られる日本財団賞である。黒川は下記の内容で社会貢献の功績により受賞した。

「昭和58年から約28年間、アジア・太平洋地域の虐げられた少数民族が抱える問題を社会に訴える等、支援活動を行っている。タイとミャンマーの国境地域で暮らし、少数民族の伝統文化維持を訴える記録ビデオを撮影し、広く社会に訴える一方、南インドの不可触賎民と呼ばれるダリットの若い女性たちの文化活動に参加し、歌や踊りで権利の回復を訴えるプログラム作成や運営に参画した。またアジアの国々で、識字教育などの人材育成にも努めている。」
推薦者:田島伸二

社会貢献者表彰 (社会貢献支援財団ホームページ)

2011年11月
ヌリッティアンジャリ事務局

REPORT 02

3.11被災の方々への協力レポート

2011年9月に、集まった募金を使って簡易空間線量計を購入し、事故のあった原発の北部にあたる、福島県新地町立尚英中学校の斎藤桂子先生に寄贈しました。子供たちが行動する場所の安全を確認するために、斎藤先生が必要だとおっしゃっていたので、お渡しすることができてよかったです。早速に斎藤先生からご丁寧な礼状がとどきました。津波の被害からの復興をしようという中で、放射能の影響のために、ありとあらゆる問題が目の前にたちはだかり、その中で子供たちを守り、育ててゆくことは、想像を絶するほど困難なことだと思います。何とかこれからもこうした方々の声に耳をかたむけ、できることからお手伝いしていきたいです。
※米国 International Medcom CRM100

斎藤桂子先生のお手紙の一部をご紹介いたしますが、その中の「生徒一人ひとりに宿った奇跡」という言葉は重く響きます。津波でも生き残ることができた大事な命を、放射能が苦しめていることを思うと言葉につまります。

~斎藤桂子先生のお手紙から引用~

今回の震災では、私が勤めている新地町においても甚大な被害となりました。とりわけ津波により多数の尊い人命、楽しく家族と過ごした家屋等がことごとく失われ、日頃見慣れた風景さえ、変わり果ててしまいました。ただこのような状況であったにもかかわらず、在籍生徒全員が生き抜くことができ、243名の生徒全員に奇跡が宿りました。その後、地域や自衛隊のみなさんの多大なる救援活動により、瓦礫の撤去、仮設住宅の設置等が円滑に進み、学校に併設していた避難所も閉鎖、本校は学校としてすべての機能を回復し、現在に至っております。まだまだ多くの難題を抱えておりますが、これからも生徒一人ひとりに宿った奇跡を大切にし、生徒個々の将来の夢実現に向けて、全職員で取り組んでいこうとおもいます。本来でありましたら、参上いたし厚くお礼申しあげるところですが、書中にて失礼します。皆様のご健康とますますのご発展をお祈り申し上げます。

2011年10月 黒川妙子

いわき市での公演を終えて

家も故郷もすべてを失い福島県楢葉町から避難している方々や、いわき市の被災している方々との交わりの機会を、9月14・15日の二日間にわたり感動的にもつことができました。コルカタのタブラ奏者のアリフ・カーンさん、シタール奏者のヨシダダイキチさん、バラタナティヤムの山元彩子さん、堀友紀子さん、岸美和さん、そして私、黒川妙子の慰問コンサートの一行は、中ノ湯避難所、冷泉寺、永崎小学校で公演をおこないました。

そこでは悲しみに沈んだ瞳ではなく、生きようとする輝く瞳に出会いました。音楽や舞踊が、心のいたみを癒し、心をあわせることに少しでもお手伝いできたようです。ある年輩の女性が、「音楽をきくと自然に涙がでてきてしまうが、タブラでも自分たちのすべてを失ってしまったくやしい気持ちを表現してくれないか」と、アリフさんにリクエストする場面がありました。また永崎小学校の全校生徒285名と一緒におどったのも、よい思い出です。苦しい中で私たち一行をあたたかく迎えてくださった皆様に感謝するとともに、常に心遣いを忘れない福島県いわき市小名浜の、冷泉寺の酒主真希さん(副住職)のおかげで今回のコンサートが実現したことをつけくわえておきたいです。

仮設住宅にはいり、新たな生活を始められた方々が多いですが、厳しい状況はまだまだずっと続いており、引き続きみなさんの声に耳をかたむけていきたいです。10月14日にいわき市の仮設住宅を訪れる予定でいます。

2011年10月 黒川妙子

被災地を訪問して

黒川妙子さんとのご縁により、初めて慰問公演に参加させて頂きました。不思議な事に、慰問先の福島県いわき市には、以前より縁があったため、参加できた事が、より深く幸せに感じられました。福島県の皆さんは、とても温かく私達を迎えて下さいました。踊っている間じゅう鳴り止まない拍手に、私達が感激いたしました。

甚大な被害を受けた小名浜港は、表面的には静けさを取り戻していますが、静けさの奥に悲しみを感じました。人々の心は、先の見えない暗闇に、不安でいっぱいです。傷ついています。

「私に何ができるか…」と考えると、なおさら自分の無力さを思い知らされます。出来る事をやるしかないなら「私には踊りしかない」と強く思います。今後も出来る事をやり続けます。

2011年10月 山元彩子
ヌリッティヤ ラクシャナ ジャパン

REPORT 01

アリフ・カーン氏と共に福島県いわき市へ!

「支援をする」などと声高く言うこともなく、震災で想像を絶する苦難に直面し傷ついている多くの人々に、よりそい、心の眼をそそぎ、力となり、また遠く離れている人たちと被災者たちをつなぐ役割をも、黙々と果たしている、素敵な女性の副住職さまが、いわき市小名浜の冷泉寺にいらっしゃいます。この方を通じて、3月11日の地震・津波・原発事故が、今これを書いている8月末の現在でも、そのまま重い現実で多くの人の苦しみや痛みが続いていることを、私たちは知ることができます。

放射能汚染という解決方法をみいだすことができない事態で、すべてを失っていわき市に避難してきた人々の、なんらかの支えになれないかとの思いで、東京に住む私たちも、5月、6月と「心の絵地図」を共に作る作業をおこないました。この「心の絵地図」は、田島伸二さんという方が長年つみかさねてきた方法なのですが、言葉・文字・絵・デザインすべてを駆使して自由に、心の重いふたを少しでも軽くして、心や体の向かう方向を自ら見いだしていく方法です。

そこには絶望と希望との間をいったりきたりしながらも、少しずつでも光をみいだそうと必死でもがく、子供や大人の姿がうかびあがってきます。そのような生きるエネルギーに接するたびに、そうしたエネルギーがたえることがないよう、周囲から微力でも支えられないかとおもうのです。

生きるエネルギーをつなげていくことの中には、「そこに共につどうこと」そしてできれば「一緒におどること」があるのではないでしょうか。私がいわき市に行って、かけてもらう言葉の多くが、「きてくれてありがとう、会いにきてくれてありがとう」という事実に、驚きました。ほとんどたいしたことはできない私なのに、訪ねた、そこに一緒にいるという事実そのものに、苦難で息をするのも苦しいほどの人たちが、うれしいと涙を流してくれるのです。

6月には、小名浜の避難所となっていた旅館で、子供たち、そして大人たちも加わって、南インド・タミルのフォークダンスを輪になっておどりました。「インドの盆踊りです」と紹介しておどった「クンミ」は、リズムがはやいので子供たちはおおはしゃぎでした。クンミを教えてくれた、インドのシスターチャンドラの弁をかりると、輪になっておどることで、一つになれるのです。

東京の私の周囲では、もう放射能についてあまり考えずとも生活できそうな錯覚におちいることもありますが、福島県の現実はそんな甘いものではありません。相馬市に住む知人の中学校の先生は、「どこが放射線の線量が高いのかわからず、恐くて子供たちを外に出すことができない」、「放射線線量計が手にはいってはじめて、様子をみながらなんとか家族で仙台にでかけることができた」などといっているのが、現状なのです。チェルノブイリの事故後25年あまりがたって、子供たちがどのような犠牲になっているかをみるにつけて、眼には見ることができない放射能が確実に、子供たちの体をむしばむことを知りました。

少なくとも、眼には見えない敵にかこまれた生活をする上で、簡易な線量計であっても、学校で自由にそれが使え、個人が家庭で使い、回避できる危険は回避することは、不可欠なことだとおもいます。しかしそうした簡易線量計であっても、かえってそれを最も必要としている地元なのに、自由にはならないといったいろいろな事情があるようです。それで学校関係者の知人の強い要請で、皆様に寄付をお願いし、集まった浄財を放射線線量計の購入にあてようと考えています。

日本を第二の故郷と考え、震災に心をいためているインドのタブラ・アーティストのアリフ・カーン氏が、9月14~15日にいわき市を訪れコンサートを開くことになりました。先にのべた冷泉寺の酒主真希副住職さまのおかげです。バラタナティヤムの山元彩子さんらもこれに加わって、楽しい一時をもちたいと今から期待が大きくなっています。会場のひとつの小学校で学んでいる子供たちは、何らかの形で心に傷をおっている子供たちだそうです。そういう子供たちの心にも、すてきな響きとおどりがとどきますように!

2011年8月 黒川妙子

アリフ・カーン (Arif Khan)

850年続くタブラ奏者の家系ファルカーバード派第34代。祖父は故カラマトゥラ・カーン、父はサビール・カーン。2歳で父親に師事し6歳でデビュー、数千人の聴衆を魅了した。以来、古典と現代音楽を取り入れた演奏スタイルで、様々な国で演奏活動を行う。2009年9月に初来日し、インド音楽愛好者との音楽会やワークショップに参加。タブラの普及にも熱心に取り組み、世界にタブラの魅力を広める活動を行っている。来日は今回で3回目となる。

黒川 妙子

財団法人ユネスコ・アジア文化センター勤務後、国際識字文化センター事務局長。「南インド・タミルナードゥ州のダリットの太鼓文化『タップ』研究」にて博士号を取得。インド舞踊家・研究家として活動し、タッパアッタム太鼓舞踊の普及につとめている。当舞踊団のリーダー。

山元 彩子

日本を代表するバラタナティヤム舞踊家。1995年よりAラクシュマンに師事し、インド・日本を中心に公演活動を行う。2003年よりAラクシュマン来日公演を毎年開催し好評を博す。現在は舞台公演活動を中心に、後進の育成にも力を注いでいる。ヌリッティヤ ラクシャナ ジャパン 主宰。